余裕空間としてのガレージの魅力



ま、あくまで妄想のお話として聞いていただきたいんですが…。

庭にこんなガレージがあったら色々と面白いかなと思いまして。
「こんな立派なガレージがあったらココに住んじゃうよ」と言われてしまいそうですが、確かに都市部でこんな立派なガレージを持つのはちょっと現実的では無いですかね。
こちらのガレージ、建物自体は主に廃材やリサイクル材を用いて作られているんだそうで、(人件費や土地代は別として)建材などの材料費はほとんどかけずに作られているんだそうです。
ココらへんの車にはあまり詳しくないので当てずっぽうなんですが、ガレージの中に止まってるのは1970年位のベンツ280SLあたりでしょうか。
そうだとすると車のサイズは全長428cm×全幅176cmということになりますので、そこからざっと計算すると、ガレージの幅が約7m、奥行き的には縦に2台入れるのはちょっと無理かな、という位の様に見えますので、奥行き8m位というところでしょうか。
庇の張り出しとかそういったものを考えずにざっくり計算すると、建坪56平方m≒17坪位のガレージということになります。
確かに狭小住宅が一つ建てられてしまいそうな位の広さがありますけれど、坪単価が10万円、20万円といった場所だったら、土地の価格としては300万円位の追加で済んでしまうわけで、思い切ってこういうガレージを作ってみるというのも面白そうです。
このガレージに限らず、ガレージって中々魅力的なのでは無いかな、と。
家を建てる時って、間取りの中の全ての場所にある程度の役割が割り振られているわけじゃないですか。
で、ガレージというのも確かに「車や道具類を入れておく所」という役割が与えられているわけですけれど、他のリビングとかダイニングとかといった場所と比べて、何というかその役割が非常に曖昧な感じがしてまして、そこが魅力的なのでは無いかと。
ちょっと前に「ガレージがなければスティーブ・ジョブズは世に出ていなかった」みたいな話をどこかで読んだんですが(記憶が非常に曖昧で、ホントにそんな話だったかよく覚えてないんですけれど)、確かにそれはあるのかな、と。
例えば子供たちが、今の僕には想像もつかない様な「何か」をやり始める切っ掛けを与える空間として、こういった「役割が曖昧な空間」というのが確かに必要なのでは無いかと。
勉強部屋みたいに、「◯◯をするための場所」としてお膳立てしてあげるのもいいですけれど、所詮人が想定することなんて限界があるわけで、実際に人が何かから影響をうけたり触発されて行動に移すことを予測仕切るなんてことはでいないわけです。
何年後かの未来に誰が何に興味を持って何をしようとするかなんてことは、とてもじゃないですけれど想像しきれないと思うわけです。
それは別に子供だけの話じゃないと思うんですよ。
この写真みたいなガレージがあってはじめて車を弄ることに興味が湧いてきて、古いベンツを自分でレストアしながら乗ってみる、みたいな趣味を見つけることがあるかもしれませんし、ガレージで日曜大工で家具を直していたらいつの間にか木工細工に目覚めて、とか、そういったこともあるかもしれません。
僕だったら、ガレージを防音にして思いっきり楽器が演奏できる空間にしてみますかね。
近所の先輩とかとバンドを組んで、週末にお気に入りの曲をセッションしたりしたら楽しそうです。
余談ですが、今時自宅に防音室を作ること自体はそんなに大変では無いらしく、ホームセンターなどでグラスウール製の吸音ボード(GCボードなど)を買ってきて壁面に隙間なく貼り付ければ結構防音性の高い部屋を手軽に作ることができるらしいです(僕自身もやってみたいと思いながらまだ実行に移せていないんですが、そのうち自宅の6畳の部屋を防音室にしてみたいという願望があります)。
「◯◯のための空間」という考え方も当然あると思いますけれど、「やりたい◯◯を新たに生み出す空間」というのも魅力的なのでは無いかな、と。
そういう意味では「ガレージというのが比較的そういった空間になり易いかな」と思っただけで、別にガレージ限らず家の中にそういった空間を作っておくことも必要なのではないかな、とか思ったりしますね。
実際には現実は厳しいもので、人生にそんな余裕を許してくれない、というのもあるとは思うんですけれど、そんな現実にできる限り抵抗してみるというのも必要かなと…。
Photo ©Rob Harrison

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