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丘の中腹に建つ外部に開かれたリノベーションハウス



こちらのお家、周囲を取り巻く環境と、家の随所に施された外部へとつながる「開口部」の組み合わせが素晴らしいなと思いまして、ちょっとご紹介をさせて頂きたいなと。
どんなところが「外部に開かれて」いるか、と言いますと、例えば2階のリビング脇のテラスはこんな感じになってます。
リビングとテラスの間は全面開口型ガラススライドドアになってまして、スライドドアからウッドデッキのテラスに出ると、丘の中腹に建つ家の周りの森が、まるで自宅の庭の様にすぐそこに広がっています。
ロケーションはアメリカ西海岸、ロサンゼルスの北西に位置するノースリッジの郊外でして、オーナーは実は、『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』の撮影監督を務めたクラウディオ・ミランダ氏なんです。
アメリカ東部の長閑な街、ケンタッキー州とインディアナ州の州境に近いマウントワシントンで育ったミランダ氏は、この家と周囲の環境の持つ素朴な雰囲気に惹かれて、通りから玄関まで実に60段もの階段を上る必要があるこの家を25万7千ドル(≒1ドル80円換算で2千56万円)で購入しました。
購入時期は1994年のノースリッジ地震の後だそうです。
アメリカの不動産相場にあまり詳しく無いのですが、郊外とはいえ、カリフォルニアでこの広さの家がこの価格というのはかなりリーズナブルだと思います。
そこら辺には、やはり大規模な地震の直後というのが影響していたんですかね。
この家、ミランダ氏が購入した頃にはまだまだこんな感じでは無かったんだそうで。
ミランダ氏曰く、”It was a Mediterranean mutt falling down its steep hillside.”、意訳:『急峻な丘の中腹に転がり落ちた野良ポテンゴ犬の様な』お家だったそうです(翻訳にちょっと自信が無いんですが、”mutt”というのは『雑種犬』とか『野良犬』の様な意味で、”Mediterranean”というのは『地中海』とか『陸に取り囲まれた』という様な意味です。この”Mediterranean”の訳が中々苦しく、最初『森の中の』という様な意味で訳すべきかな、と思ったんですが、地中海原産の犬に『ポテンゴ』という猟犬がいまして、そこら辺から『地中海の雑種犬=野良ポテンゴ犬』、つまり、『血筋は良い野良犬』みたいな意味かな、と…。違ったらすいません…。ニュアンス的には大きく外れては無いと思うんですけど)。
ミランダ氏は、この家を手に入れて実際に住みながら、家にゆっくりと手を入れていきます。
まず手始めは2001年、サンタモニカの建築事務所”Minarc”に、2つあるバスルームの内の1つ、2階にある窓の無いバスルームのリノベーションを依頼しました。
依頼を受けた建築家さんは、バスルームの壁はほぼそのままにして、天井を改造するアイディアで対応します。
屋根取り壊して壁の上部に明かり取りの窓を付け、更に天井にも天窓をはめ込んだんだそうです。
窓が無く、薄暗くて息の詰まるような空間だったバスルームが、光にあふれる開放感のある空間に生まれ変わっています。

天井は元の状態よりも1.2mも上に持ち上げられているそうです。
このバスルームでシャワーを浴びたら、太陽の下で水浴びをしている様な爽快な気持ちになれそうですよね。
このセンス溢れる素晴らしいバスルームの出来栄えをみて、ミランダ氏は建築家さんにもう一つのバスルームのリノベーションも依頼します。
もう一つのバスルームは、マスターバスルームにも関わらず、ウォークインクローゼットを通らないと入れないバスルームだったんだそうで…。
このお家、今でこそ非の打ち所のない素晴らしいお家に仕上がってますが、リノベーション前は相当問題のあるお家だったっぽいです…。
で、建築家さんは、その「マズい」バスルームを大胆に改造します。
クローゼットを潰してバスルームを拡張し、バスルームの躯体に面する壁を取り払って、ガラスのスライドドアに置き換えます。
スライドドアを開けると、家の周りを取り囲む森が目近に広がっているという、「まるでアウトドア」なお風呂。
1つ目のサブバスルームの光溢れる感じとはまた違った、落ち着いた雰囲気のあるバスルームに仕上がっていて、こちらも相当良い感じです。
こんな感じの2つのバスルームを、その日の気分で使い分けることができたら最高だと思います。
この2つのバスルームのリノベーションに満足したミランダ氏は、この建築家さんに家全体のリノベーションを頼むことにしたんだそうです。
そこから先のリノベーション内容はこんな感じです。
最初にご紹介したリビング脇のテラスを作り、寝室の脇にも広く大きなルーフテラスを作りました。
寝室脇のウッドデッキ、良いですよね。
夜寝る前も朝起きた後も、このテラスに出てちょっとのんびりお酒を飲んだり新聞を読んだりしたら、それだけで日々の生活に相当な潤いをもたらしてくれそうです。
壁をガラスのスライドドアに置き換えたのは、テラスやお風呂場の様な外に出られる場所だけじゃありません。
色々な場所の壁をスライドドアに置き換えて柵を取り付け、いつでも全開放にして、室内に居ながらにして周囲を取り囲む自然を感じ取れるようにもしてあります。
その他にも、大々的且つ抜本的にリノベーションを行ったそうです。
1階フロアのほとんどの壁を取り払って大きな1つの空間に作り直したり、建物の外装を、できる限り環境に与える影響が少なく、且つ、耐久性のある素材である、セメントにリサイクル繊維を加えたコンクリートパネルを用いて修復したりもしています。
ちなみに、このコンクリートパネルを用いた別の理由として、「従来のコンクリートパネルよりも軽量である」ということもあったんだそうです。
「丘の中腹」への建材の荷揚げ、という実用面でのメリットも考慮して、軽量なものを選定してくれたそうで。
ここまで考えてやってもらうと、施主冥利に尽きると言いますか、既にリノベーションの範囲を超え、新規施工設計のレベルをも超えている様な…。
このお家、ホントに素晴らしいと思うんですが、家の全般に共通するキーワードとしては、タイトルにも入れさせていただいた「外部に開かれた」部分になってくるのかな、と。
そして、郊外の丘の中腹という立地だからこそ、この様に外に向けて開かれた家を思うがままに作れるわけです。
そういった意味では、ロケーションとニーズの整合性がベースになっているわけで、そもそもの土台としては「ここに家を」と考えたミランダ氏のセンスありきなんでしょう。
で、その意向を受けてリノベーションを担当した建築家さんのお仕事もコレまた素晴らしく、周囲の環境の良さをふんだんに取り入れた、周囲の環境と共生する非常に秀逸な家として仕上がっていると思います。
このお家、1つのリノベーションのケーススタディとしてみてみると、リノベーションの過程、その結果としての家の仕上がり、どちらも素晴らしいと思います。
ですが、原文記事を読み込んでいって思ったんですが、双方の素晴らしさの中でも、リノベーションの過程の方に、より興味深く感じさせられる部分がありましたね。
施主であるミランダ氏は著名な撮影監督です。
著名な撮影監督というと、「溢れ出るような自身のアイディアを基に建築事務所にリノベーションを依頼」してしまいそうなイメージがありますが、ミランダ氏は、建築家さんの仕事を見極めつつ、じっくりと時間をかけてリノベーションを進めています。
自身の意向を伝えつつも、建築家さんに対して、自分のアイディアでリノベーションを遂行する「手足」としての役割を求めるわけでは無く、あくまで、施主の意向を汲み取って自分なりのアイディアを出し、それを遂行してくれる「パートナー」としての役割を求めています。
これってとても重要なことだと思うんです。
建築家さんに仕事を依頼する以上、先方を尊重しなければ当然その人の良さは引き出せないわけで、「その人のセンスに任せる」ことが必要なわけです。
しかし、例え優れた建築家さんであっても、自身のニーズや好みと合わなければ満足の行く結果は中々得られないでしょうし、そういった意味では、実際に自分の家に対してどのようなアイディアを出してくれるかを実際にみてみる、というステップが必要です。
そのステップを踏んだ上でこそ、「任せる」ということができるようになるわけです。
建築家さんに2つのバスルームのリノベーションを依頼することで、ミランダ氏は自身の先方への「信任」を試し、信任に値すると判断した上で、自らのアイディアを前面に出すのではなく、建築家さんのアイディアでリノベーションを進めてもらいます。
時間もかかりますし、コレは中々できることでは無いと思います。
当然新築ではこういった方法を取るのは難しいですし、こういったことができるのもリノベーションならでなんですが、何よりも、ミランダ氏の取った手順が、建築分野のみに限らず、人に何らかの創作活動を依頼する手順として非常に秀逸だったのかな、と。
秀逸な施主と秀逸な建築家さんが秀逸な手順を踏んで、焦らず、じっくりと時間をかけて行ったリノベーション、という、リノベーションのお手本の様な物件だと思います。
ちなみにこのお家、総リノベーション費用は取材時の2009年段階で既に50万ドルに上り、そしてリノベーションはまだまだ終わっていないんだそうで、庭に3階建てのプールハウスやスタジオの建築計画も策定中とのこと。
ホントに、「時間をかけてじっくりとやる」のお手本の様なリノベーションです。

物件の相場と住む人の要望の乖離



これが「住宅のデザインに関すること」なのかどうかちょっと疑問ではあるんですが、オーストラリアの某物件を見ていて色々と思ったことがあったので、ちょっと書いてみたいと思います。

こちら、オーストラリア シドニーのキャンパーダウンという街にある1LDKのマンションです。
家族持ちの僕がこういったところに住むということはもう無いかもしれませんが(子供たちが独立してコンパクトなところに転居したり、あまり考えたくないですが何らかの事情により独りの身になったり…、ということはあるかもしれませんけれど)、独身だったり奥さんと二人の新婚生活とかだったりしたら、こんな感じのところに住んでみたい気がします。
柱や梁、内装などに木材を多用しているところが、暖かみのある独特の雰囲気につながっていて良い感じだと思います。
ベッドルームも、面積としてはそれほど広くは無いですけれど、隣接するLDKとの仕切りの背が低いので、結構開放感がある空間になっています。
間取り的に言うと、リビング・ダイニング・キッチンが幅3.6m×奥行き5.6mで20平方m12畳、ベッドルームが幅3.6m×奥行き3.2mで11.5平方m7畳程度。4、5畳くらいのサイズの結構ゆったりとしたバルコニーもついてます。
バス・トイレはトイレ付きバスルームと、それとは別にもう一つトイレがあります。

間取り的には1LDKになってますけれど、クローゼットや収納で空間を仕切ってこの間取りを作っているだけで、実際には大きな一つの空間のワンルームの様なお部屋です。
全体の広さとしては60平方m弱、16、7坪程度の専有面積という感じでしょうか。
この物件自体は賃貸物件では無く販売物件でして、価格は45万オーストラリアドル≒1豪ドル76円程度として3,500万円位。
で、ココらへんにちょっと興味が湧いてきたので、東京都心部で同じようなマンションがどの程度の相場で売られているのかを調べてみました。
エリアや駅からの距離、築年数なんかでも結構開きはあるんですが、東京都心部で働く若手が職住接近の生活を送ることを想定して、山手線沿線から私鉄や地下鉄に乗換えて3駅程度、という条件で調べてみたんですが、50平方mから60平方m位の広さの物件で、3千万円台後半、という位になるみたいで、このオーストラリアの物件と似たような感じなのか、もうちょっと高いのか、という位の様です。
この価格、高いのか安いのか相場的にはよくわからなかったんですけれど、個人的な感覚で言えば(東京の場合ですよ)、独り身かせいぜい二人でしか暮らせないこのサイズに対して3,500万円を出すか、というとちょっと疑問な感じが。
こういった物件に住もうと考える人というのは20代から30代前半くらいの若手の方だろうと思いますので、確かにこのサイズというのは調度良いのかもしれません。
でも、そういった世代の方というのは、程なく結婚したり子供ができたりというイベントを控えているわけで、10年後のライフスタイルにマッチしているかというと、ちょっと違うのかな、と。
そうすると、こういったマンションに暮らすことができるのは、子供たちが独立した後、リタイア後、ということになるんですかね…。
それはそれで、まだ40歳にもなっていない身としては、何だか寂しい気もします。
で、じゃあ賃貸だったらどうなんだ、ということで、こちらも同じく山手線から乗換えて3駅位のあたりで考えてみますと、こちらも多少の開きはあるものの、一坪1万円位、60平方m≒18坪程度と考えると、月18万円の家賃ということになるんでしょうか…。
一人暮らしで家賃18万円払う位なら、マンションか家を買ったほうが良い様な気がしますね…。
で、何だかだらだらと脱線気味にきてしまったんですが、そうするとこういった広めのマンションに都会の若者は住めないのか、というあたりが気になったわけです。
僕自身も、独身時代は港区の職場まで30分くらいで行ける都心部のマンションに住んでましたが、専有面積30平方m位の1LDKで家賃が月10万円ちょっと、それに加えて駐車場代も月に3万円位払ってました。
決して広いマンションではなかったですけれど、平日は深夜まで働いて家には寝に帰るだけの生活を送っていたのに、結構贅沢をしてたな、と思います。
でも、このマンションの半分くらいの広さしか無いという…。
親密に接近したい人がお家に来るのには都合が良いかもしれませんけれど、男の先輩が酔っ払って泊まりに来たりした日にはムサくてしょうがなかったですね。
それが現実なわけです…。
それが現実と言われてしまえばそれで話は終わりになってしまうんですが、ココらへんを解消できたら何だかみんな幸せなんではないかな、と思いまして。
と言っても、実際ココらへんは土地の持つ利用価値とかそれに関わる産業のコスト構造の話とかそういったものにも絡んでくる話ですので、それが解決できたら、恐らく僕は大金持ちになれてしまうんだろうという位の話なんですけれど…。
乾いた大都市で独りモクモクと働く若者たちは、出来る事ならばこの位のマンションに自分の給料で無理なく住めるくらいの生活を送りたいと思っていると思うんですよ。
そのためには、都心部の家賃を今の半分か、せめて3分の2くらいにしてもらわないとイケないわけです。
逆に言えば、そういった物件を作る方法を確立出来れば、多くの人がこんな感じのマンションに住むことができて、こういったマンションを真剣にデザインしたり、面白みのあるマンションを作ったり、というあたりが新しいジャンルとして確立されて、長く残せる面白い物件を作ってみたり、じゃ、建物は賃貸だからリフォームやリノベーションのサイクルとしてどう考えて、とか、そういったことが色々と始まったりすると面白いかな、と。
で、そういった状態になってくると、この物件みたいに「内装に凝った面白い物件を作る」ということがより活発になって、造る人も住む人も幸せになれるんでは無いだろうか、とか漠然と思ったりしたわけです。
そうできない現状の根本にあるのが、単純に不動産業界の産業構造や土地の価格の問題だとすれば、産業全体でのコスト削減や、技術革新と規制緩和によって土地に対して作り込める床面積を拡げたり、というあたりが一つの解になるはずなんですけれど、何時まで経ってもそういったことが起きないのは何でなんでしょうかね…。
長々と妄想にお付き合いいただきましてありがとうございました…。